だるま落としと「はじめての短歌」から、教育方針を見出せた日のこと

息子の鉛筆をふと見たら、六角形の鉛筆のお尻のところに、丸とバツが書いてあった。

丸が四つに、バツ二つ。
マル、バツ、マル、バツ、マル、マルという感じで。

中学生だったら、何となくわかる。
テストで丸バツ問題が出て、どうしてもわからない時、これを回して出た方を書いちゃえ!なんてことをしたくなる気持ち。

でも、うちの息子は、まだ小三。
どういう目的でこれを書いて使っているのか見当がつかないので、息子に尋ねてみた。

すると、息子は答えた。
「これはだるま落としなんだよ」と。

だるま落とし…?

「見て」と一言だけ言って、息子は丸バツ鉛筆を消しゴムの上にそっと乗せる。
そして、もう一本の鉛筆を取り出し、その鉛筆を使って消しゴムだけを勢い良く弾き飛ばした。

コロコロ。

土台を失った六角鉛筆は、コロコロと少しだけ転がって、そして止まった。丸が出た。

「丸が出たら、だるま落とし成功だよ」と息子は言った。

すごい!と思った。息子のこういうところが大好きだと思った。私がその気持ちを言葉にして伝える前に、息子は筆箱に手を突っ込んだ。

「もう一つ、見て。こっちのほうが難しい」

違う六角鉛筆が登場した。しかし今度は、丸が一つだけ書いてある。
息子は、丸がついている面を上にして、六角鉛筆を消しゴムに乗せる。そして、違う鉛筆で消しゴムを弾き飛ばす。

コロン。

何も書いていない面が真上に来た。

「あぁ、失敗」

悔しがる息子。
つまり、丸の面のまま下に落とせたら、だるま落とし成功ってことだ。

すごい。何がすごいのかよくわかんないけど、すごい。
「えー!すごい!これ、クラスではやってるの?」
「はやってない。俺が考えた」

なんと。流行っていないのか。
一人で黙々と消しゴムを弾き飛ばして遊ぶ息子を想像してみた。
そこに、寂しさはなかった。集中する顔があった。

「お母さん、きみのそういうとこ大好き」

息子は、嬉しさを隠しきれない顔をした。こんな喜び方するんだったね、って顔。
勉強頑張ったとか、スイミングで合格したとから、マラソンで上位取ったとかで「すごいね」って褒めた時よりも、誇らしい顔をしていた。

私は、子供のこういうところを伸ばしていきたいんだよなと思った。
昔から、こういうところを良く褒めて子育てしてきた。数字で出ない部分、と言ってしまうと何か違う、こういうところ。

それがどういうところなのか言語化できずにいたのだが、穂村弘さんの「はじめての短歌」という本を読んで、なんとなくわかった。

「生きのびる」ための行動じゃなくて、「生きる」というところ。社会的じゃないところ。

六角鉛筆を消しゴムに乗せて弾き飛ばす遊びなんて、全く社会的じゃないんだけど、「生きる」ことに全力で工夫をこらしている。

子供達にはもちろん生きのびて欲しいんだけど、生きることを楽しんで欲しいなと思う、秋の始まり。

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